増やさないようにしたほうがいいです。
増えたら増えた分だけ、どこか置く場所を作らなくちゃならないでしょ?
クレジットカードでも、私も何枚か持ってますけども、無いに越したことはない。
あればあるで、なくさないようにしなくちゃいけないし、いくら買ったか覚えておかなくちゃならないし、管理しなくちゃならない。
できるだけそういうものは、ないほうがいいんですよ。
ガソリンスタンドなんか行くと、
『カードお作りします』
なんて言われて、カード渡されたりとかじゅしょを書かされたりとかします。
でも、あれはガソリンスタンドで客を管理しようと思ってるんですからね。縛ろうとしている。
カードを作ると、絶対顧客カードというのに住所書かされて、それがガソリンスタンドに分類されて残されて、あるいはコンピュータのデータなんかになったりして、今度来た時にそれを出されたりなんかして初めて、
『あぁ、この人この人』
と言われちゃったりする。
私はカードではない。私はデータではない。
田舎のほうなんかに行くと、レストランとかドライブインとかゴルフの打ちっぱなしとかでもカードになってたりして、受付に二人も女のコがいるにもかかわらず、
『そちらでカードをお求めください』
とか言われたりします。
『バカモノ!あんたらそこにいるんだから、あんたら段取り組め』
と思いますね。
何のために二人いるんだかわからない。
わかりやすく言うと、全自動洗濯機が最初から最後まできちんと段取りを踏むかどうかを隣で見ているのと同じ。
女のコたちも怒ったほうがいいんです。
信用されてないんだから。
カードのほうが信用されてるんだから。
ハイテクになっていくんだけど、そのハイテクが人の見ているところでハイテクを発揮するのはなんだか無駄なのです。
だったら、その人が一切合切やったほうがいい。
面倒臭いからって、冷凍のおいなりさんをチンして食べて、確かにおいしくて、
『あぁ、おいしいわぁ』
と思いながらも、やることなくてブラブラしている。なんかバカっぽい。
おいなりさんを作ることが面倒臭いって思い始めたのは、冷凍のおいなりさんが出てきたからなんだってことを忘れちゃいけない。
私から言わせると、できてるプラモデルを買うのに似ていて、つまんない。
結果が同じならどんなルートを通ってもいいっていうのは、あんまりいい方向に行ってないって感じがしますね。
全部が全部便利になっていくと、便利を使う人はバカになって知らない間につまんなくなっていく。
そうするとどうしてバカになっていくのか分析していかなくちゃならないし、気が付いたら気が付いたでバカにならないように気をつけなくちゃならないし。
そこまで行くと【便利って何?】ってホントに思っちゃいますね。
不便になってるんだもの。
出典:『所ジョージの私ならこうします-世直し改造計画-』より