誰かの努力のおかげで遊んで暮らすというのは、恥ずかしい事で、心が貧乏なのです。


1億円を手に入れると、大半の人が貯金をしますよね。
で、そのなかの6割の人が利息で生活しようなんて考えたりする。
で、ブラブラして暮らしたりする。



『自分はなんて裕福なんだろう。働かずに生活ができる。』
と、思ったりする。

でも、ハッキリ言って、これは間違っているのです。
1億円持っているだけで、1億円が減らずに生活ができると聴いた時に
『これは何か重大なチカラに騙されているのではないだろうか』
と疑わなければならないと思うのです。

1億円の預金があって、1日の利子が3千円ついたとして、1日を3千円以下で暮らしたら、1億円は減りません。でも、所詮は3千円の暮らしを一生続けるということなのです。
貧乏なのです。

利息で暮らすというのはどんなに無意味なことなのかを考えた方がいいです。
どうして銀行は1億円に利子をつけるのかを確認しておいたほうがいいです。

誰でも知っていることですけど、銀行は貸してもらった1億円を別の誰かに貸すと。
で、借りた人は、利子をつけて銀行に返すと。銀行は自分の取り分を抜いて、貸してくれた人に利子を渡すと。
そういう流れなわけです。

ってことは、利子で暮らしている人は銀行から金を借りて商売をしている人の努力のおかげで遊んで暮らせる訳で、ただお金を使っているだけなのです。
使うばっかり。

それは絶対におかしいわけで、物を作らないと裕福にはなっていかないはずなのです。
農作物でも工業品でもサービスでも芸でも、何かをつくらないと豊かになるはずがないのです。
利子で暮らしている人はそれを忘れている。

誰かの努力のおかげで遊んで暮らすというのは、恥ずかしい事で、心が貧乏なのです。
なのに
『俺は銀行に1億円貸しているんだからいいんだ』
と威張っている。
威張るんじゃないの。

反対に銀行にお金を借りている人は
『すみません』
って顔してますね。
でも、本当に威張っていいのは借りている人のほうなのです。

銀行にとってどっちが客かというとカネを持ってっちゃう貸してる人じゃなくて、カネを持ってきてくれる借りてる人なのです。
タダで借りてるわけじゃないんだから。
世の中、何か反対のことって多いのです。

それに、明日の1億円は今日の1億円よりも絶対に価値は低いのです。
ちょっとずつちょっとずつ、価値は下がっている。でも、ちょっとずつだから遊んで暮らしている人は気付かない。気付いた時には働こうにも働けない。どんどん貧乏です。

1億円は持った時に使うのが一番価値があるのです。
1億円を手にした瞬間に。
『もうオッケイ』
なぁにがオッケイなんでしょうねぇ。
オッケイと思った時点で貧乏は始まっています。



出典:『所ジョージの私ならこうします-世直し改造計画-』より