やっぱり技術を持っている人が生き残るんです。 技術を知ってる人じゃダメ。

画像:BSフジ

学校が商業科やあ工業科が減ってきて、普通科ばかりになってきてるらしいですね。

でもね、机の上ばかりでやる仕事(つまりえんぴつの仕事)だけになっちゃうと世の中は終わります。えんぴつで米は作れませんし、魚は捕れません。

誰かが育てた米や捕った魚を買うために、えんぴつの仕事をしていると考えないといけません。
なのに、えんぴつの仕事をしている人はエラソーにしてたりする。





単純にえんぴつを持って、これやればいい、あれやればいいって仕事だけをしていると、やがて自分が困ることになるのです(商業の空洞化って話をわかりやすくしている私)
やっぱり技術を持っている人が生き残るんです。
技術を知ってる人じゃダメ。

でもえんぴつを持ってる人が、
『ああ、オレってなんて何もしてない人間なんだろう』
ということに気づいたら、例えば水まきでもいいから始めたらいいんです。

水まき、草むしり、枯れ葉の掃除とかから始めればいい。
枯れ葉の掃除とかでもマンションの人と仲良くなったり、道を歩く人に一声かけるとか、意識していけば、何か生まれてくるんです。
生まなくちゃ。
するとだんだん掃除がわかってくる。
頭が柔らかくない人は、どうやってホウキを使えば上手く掃けるかぐらいしかわからないけど、頭が柔らかい人は、こういうホウキのほうが上手に掃けるのにとか、掃除機の柄はこうなってたほうがいいとか、吸い口の形はもっとアメリカっぽいほうがいいというように、いろいろなエキスパートとしての道が開けていくと思うのです。
そういうのを、感受性が豊かだというのです。

最初からエキスパートを目指すと、今までの人が行ったとこぐらいまでしか行けないと思うんです。
まず、手近なところから手広く感受性を磨いていくと、人間の目線も広がると思うのです。


出典:『所ジョージの私ならこうします-世直し改造計画-』より