高速道路が時速80kmと決めた人が誰なのかについてどうしたもんか


高速道路は時速80km制限だと言います。でも、
『誰が決めたんだよ』
と思っても、決めた人の顔は知りません。



『鈴木が決めた』
と言われれば、
『鈴木か』
と具体的で、誰だかイメージは少なくとも湧く。

責任者はいないのです。絶対に誰かが決めたんですけど、組織の名前の「道路公団」が決めたという考えになります。
道路公団の鈴木さんも(もし鈴木さんなら)、
『道路公団が決めた』
と言います。
『私が決めた』
とは言いません。

一人ひとりの責任になってれば、不都合があった時にはその人を辞めさせればいいんだけど、誰だかわからない。なのに道路公団は道路公団を辞めない。

言いだしっぺが責任を取るべきなのです。
団体の責任にしちゃダメ。
一人ひとりの責任にすればもっと暮らしやすくなると思うのです。

市町村や公共団体が責任を取るんじゃなくて、言いだしっぺが責任を取る。
団体に責任なんて取れないんだから。
遺憾に思いますって言えばおしまいなんだから。

横浜の高速出口にしても、あそこに出口を作ろうって決めたヤツの頭が悪いのです。そいつの名前教えろ!
いつも20kmも出口渋滞が起こるんだから、絶対に失敗なんです。
でも頭悪いヤツの名前がわからないから、
『しょうがないか』
となってしまう。
責任者の名前がわかると、良い事もその人のおかげということになるから良いのです。やりがいもあるのです。
『この大きな橋は、鈴木が作ろうと言ったんだよな』
『鈴木ってすげえヤツだな』
『鈴木、好きだよな』
ってなるのです。

なのに、今は仕事を回された人が、ビジョンもないまま、食べていくために事務的に歯車になって仕事をするわけですから、この文化はこのままです。

たぶんどこかアイマイなままになっている。
アイマイなところがあるから、歯車も空回りしたり、回らないのがあったりするわけです。

誰が作ったのか、誰がやろうと言ったのか、まず名前をはっきりさせる。
鈴木なら鈴木と言う!田中なら田中と言う!

私ならこうします
出典:『所ジョージの私ならこうします-世直し改造計画-』より