機械を使って作りだすデザインってやっぱり機械機械してて、冷たいところがある

デザインは人が自分の手で作ったのがよくわかるのが好きです。

車とかオートバイとか、日常で使ってるポットでもなんでも、コンピューターが解析して作ったようなデザインはつまんないです。



人がフリーハンドで書いた曲線とか直線を使ったほうがすごくいいです。
機会を使って作りだすデザインってやっぱり機械機械してて、冷たいところがあるんで、私はどーも、車も60年代70年代に戻っちゃうし、オートバイも戻っちゃう。

その頃のはずーっと飽きません。
それはギクシャクしてるからなんです。
カッチリしてないからずっとそこに愛着が薄れない。

でも、今才能のあるデザイナーっていうと、コンピュータを扱うのが上手なデザイナーだったりする。
技術者に芸術家の真似はできないと。

アメリカの車のデザインは単純に60年代70年代に戻っていいんです。
その頃の形、いいんだから。
今のエンジンを載せ、今の足回りにしてもいいから、型はその頃の型。

日本の車でも、ブルーバード510のボディに最新のメカを積んで、新車として出せばいいんですよ。
私がメーカーだったら、そうしますね。
車の形はあの辺で完成してると思います。

オートバイでも、日本のアメリカンとかはハーレーとかに似せて作ったりして、バカにされてるじゃないですか。
『ハーレー買えないんじゃないか。中型免許でかわいそうにな。アメリカンっていうけどジャパニーズじゃねえか』
なんて、私もそう思いますけどね。

私だったら逆にそれを遊んでみたいですけどね。
日本のバイクを買って、ハーレーのエンジンを載せちゃう。
まるでスティードでありながら、実はハーレー。
『なぁに?スティード乗ってるの?いまさら?エッ!?ハーレー?コレ!?』
私ならこうします。

出典:『所ジョージの私ならこうします-世直し改造計画-』より